2016年3月27日日曜日

心の火

こんばんは、
もう21時になってしまいました。
三月最後の日曜日
いかがお過ごしだったことでしょう。

モリンダちゃんは
昼から買い物に行き
家に帰ると
アレルギーで、とうとうダウン。
薬効かないです。
変えないといけないです。
そう、思いながら
寝てしまう。。。
そう、そうです、昼寝です。
いや。
今日のは昼寝というより
もう、目が開かなかったんだよ。。。。

で、目がさめると
もう、16:30で
17時に渋々、、買い物に行く。
なぜ、そんなに買い物に行くかというと
明日から
新しい生活が始まります。
そう、新しい仕事。
新しいリズムに家族もわたしも慣れるまで
どうなるんだろう?
そう考えながら、買い物をしていると
急に不安になった。
だって、春休み。
今日の夕食に
明日の昼ごはん
そして、夕ご飯まで
作っていかないといけないのだ。。。
モリンダちゃんは
スーパーの中をぐるぐる回ってしまう。

とりあえず、
サンマを焼いた。

珍しくグリルで焼いた。

ええ色に焼けた。

その間にお味噌汁も作った。

千切り大根を炊いた。
もう、頭の中は
不安しかないので
これが夕飯のためなのか
なんのための千切りなのか
分からなくなってきた。。。。

でも、結局
晩ご飯に食べて
お弁当用に
少しだけ残した。

そして、、、
とりあえず、今日の夕食が
終わり
こどもたちがお腹いっぱいになったのを
確認すると
不安が少し減り
明日の昼と夕飯の二回分だと
脳に刺激すると
モリンダちゃんは
動き出す。
          
 作り置きのおかずを作り出した。
うずら卵をたくさん買って
ゆで卵にしたら
味付け卵に仕上げた。
そうなると調子が良くなってきた。
調子に乗っていると言っていいほど
ええ感じになってきた。
あんなにスーパーで不安だったのに
不安なんて、消え去っていった。

プチトマトのマリネを作った。

うずら卵とプチトマトは
こどもたちに釘を刺した。

『昼に一個、夜に一個しか食べたらあかん!』

こんな可愛い丸い食べ物
残すはずがないので
釘をさすのは重要だ。

           
そして
これ、昨日のテレビで見て
食べたくなったので作ってみたら
はまってしまった
酢生姜。
生姜のみじん切りを黒酢につけるだけ。
でも、普通の酢しかないので
普通の酢につけたんだけど
これ、血がサラサラになって
代謝も良くなって
血液年齢も若くなるんだって。

で、まじで美味しい。
なににかけても美味しい。

両方好きやし
最高や〜〜〜

夕飯に食べ過ぎて
追加を作るほどだ。

           
次は、かぼちゃを炊いた。
炊いたんえ。

かぼちゃって面取りが面倒ですが
以前、島のスーパーのお惣菜の
仕込みをしていた時
ピーラーでしてはって
それが早いので
それからはピーラーでしています。
お弁当用にも小さくカットしたので
早いけど
やはり、面倒。
でも、その小さな面取りが
型崩れを防いでくれます。

炊きたては
湯気がハフハフして
後光が差しているみたい。
つい、つまみぐいをした。
          
面取りしている間に
アラメを水で戻しておいて
アラメをたいた。

作り置きって、
今までの夕食とは
違うものになっていくよね。

これまでは
すぐに出来るもの!が
重要だったので
炒め物や揚げ物が多くて
煮物は少なかった。
ほぼ、したことがないって
いうくらい。
でも、
これからは逆になって
揚げたてのものって
わたしが休みの日しか
できないんだなって感じた。
           
で、簡単高野豆腐を炊いた。
なんだか、色味に小松菜と
ニンジンさんをいれてみたけど
美味しかったわ。
(あ!また味見と見せて食べてる!)

で、すっごい調子に乗っているんで
 
豚肉とキャベツと玉ねぎの生姜焼きを作った。
もう、これでなんとか
目処がついただろう。

明日の朝、考えよう。

そして、最後に8Lのほうじ番茶を沸かす。

沸かしながら
ふと
思い出した。

長女が今、中二。
ちょうど、わたしも同じ時
母親が乳癌であることがわかった。

『癌』

その響きは
今でも忘れないくらい
わたしの中から消し去ることができない。
階段をかけおり
兄たちに話す母の話が
二階まで聞こえ
走り出した。
当時、やんちゃだったわたしだったが
母に抱きついた。

母の胸に
その癌は
硬い石のように存在していた。

母は、
ず〜っとだまっていた。
なんどもブログで書いているが
わたしもだんだん、その年に
近くなるたびに
いろんなことを考える。
それは
癌になりたくないという思いではなく
母は、なにを思っていたのか?と
そればかり考える。
          
母と同じ大きなやかんに
火をかけ
お茶を沸かす。

母は、なにを考えていたんだろう。

石のように少しずつ
硬くなっていく胸を
ずっと
だまって
誰にもだまって
ただ、ただ
たえていたのだろうか。

きっと、
わたしたち兄弟のためを思い
母はずっと
そのタイミングを待っていたのだろう。

きっと、わたしが小学生の時には
癌を感じていたんだろう。

もっと、早くになぜ診せなかったのか。。。

きっと、そんな言葉が思い浮かぶのだろうが
わたしには母の気持ちがわかる。
そのタイミング。

こどもがたくさんいるから
そのタイミングまで隠すしかできなかった。

わたしも母と同じ道を選択すると思う。
もし、そうなれば、、、

だめだよ、早く行かないと、、、
そう言われるだろうが
でも、
わたしは
きっと
母と同じことをするだろうと思う。

だって、わたしのお腹から
生まれたのだから。
わたしを
こんなわたしを
母に選んでくれたのだから。。。
わたしのこどもたちのタイミングをみるまでは
自分のことは
どうでもいいんだ。


ガスの火を見ながら
母のことを思い出す。
20年しか一緒にいれなかった。

エプロンに
くるくるパーマ
きょうの料理の本に
毎日のようにご飯を作ってくれていた。
叔父が二人いた時は
7人分。
朝もお弁当も夜も
いろんなものを作っていてくれていた。
一日中、料理をしていたことだろう。

今になって
いろんなことが見えてくる。

いろんな思い。

いろんな味。
  

お茶を沸かす。
8Lのお茶って、めっちゃ時間かかるな!
そんな話をもし
今、母親がいてくれていたら
話して盛り上がったことだろう。

うちの母は
一番上の兄が未熟児で
二番目の兄が大きめでお産婆さんがお札を貼ったほどで
しんどかったようで
三番目の姉は、楽だったようで
四番目のわたしはよく
『屁のように生まれた』
と、安産ぶりを話してくれていた。

わたしの場合は
次女は未熟児だったので安産だったが
次男も小さめで確かに
屁のようだった。

ほんまやな!屁のように安産やったわ!

そんなふうに
盛り上がれたのにな。。






わたしは、たぶん
もう、
物を作るのは
すこしずつ やめていくと思う。
製作は、しないと思う。
今年いっぱいか、
来年いっぱいか、、、
もう、手仕事は
しないかもしれない。
続けていくのは
無理かもしれない。

かぼちゃをつまみながら
ノンアルコールビールを飲んだ。

こどもたちが
お腹が減ったよと
いい匂いがするので
近づいてきて
つまみぐいをする。

明日の分が無くなる!!!


そう言いながら
笑った。
それが幸せだと
知ったから。
だから、もう、無理はしないでおこうと。。。。


お茶が湧いた。
部屋の中に
あの頃と同じように
ほうじ番茶の匂いが充満する。

わたしは
発信していく。

そこに重点をおこうと思う。
少なくとも今は。。。
もう、物は作れない。



ガスの火を止めた。
青い火が消えたけど
わたしの中にまた新しい火が
灯った気がする。

決して、
心の火は消さない。    

わたしの中には
ずっと
叶えたい火が灯っている。

その火は
母として
誰にも負けない
4つの火を灯している。

心の火。
決して
消さない。

決して。。。。。

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